Les Quatre Cents Coups[1959]
監督:フランソワ・トリュフォー
脚本:フランソワ・トリュフォー
マルセル・ムーシー
音楽:ジャン・コンスタンタン
撮影:アンリ・ドカエ
出演:ジャン=ピエール・レオ
パトリック・オーフェー
アルベール・レミー
クレール・モーリエ
ヌーヴェル・ヴァーグの代表的な監督というとゴダール監督、ジャック・リヴェット監督、そしてトリュフォー監督の名前を挙げることが多い。すべて彼らはアンドレ・バザンが主宰していた「カイエ・デュ・シネマ」誌に執筆していたライター陣でした。批評家が自分で映画を撮って、しかもその多くがレベルの高い傑作でした。これは日本だけでなく、アメリカを見渡しても例の無いことです。映画を真剣に愛すればこそ、パリという環境があったればこその奇跡に近いことでした。
作品自体は記念すべきトリュフォー監督のデビュー作であり、かつ初期の代表作でもあります。撮影はアンリ・ドカエ(『死刑台のエレベーター』『危険がいっぱい』『ブラジルから来た少年』など)を用い自然照明を優先(不自然なライトを嫌う)、俳優は無名、セットは無くオールロケを敢行(金の問題よりもリアリズムの問題)、ジャンプ・カットの多用などヌーヴェル・ヴァーグの手法を用いてはいるのですが、映画の文法というか、時間性は破壊していません。見る者に対して生理的な嫌悪感を起こさせません。編集が上手いからかも知れませんが流れるように詩情豊かに時間が心地よく過ぎていきます。監督自身の生い立ちの記録であり、切ない家族愛への憧れが感じられます。 12歳で主役を務めたジャン=ピエール・レオーのみずみずしい魅力に溢れた作品でもあり、彼の時間を見事に切り取っています。大抜擢された彼はその後の「アントワール・ドワネル」シリーズでも活躍します。成長した彼はこの作品よりも魅力があるでしょうか。長編デビューとなるこの作品からすでに卓越した映像センスを感じることが出来ます。同時に巨匠の風格が漂っています。特に素晴らしいのは画面から詩情、言い換えるならば愛情が溢れていることです。
イタリアのネオリアリズムの作品の持つ突き放したような視点を持ちながら、切なさと愛情が伝わってくる。トリュフォー監督自身が親に捨てられた経験を持っているため、この作品の持つリアリティーは自然と高くなっています。アンドレ・バザンに拾われなければ、この監督は存在さえしなかったかもしれないのです。
全てに見捨てられ、夢中で走って、走って、走りついた海岸。その時にクロース・アップされる彼の表情。呆然とした、全く希望も当ても無い絶望の顔。彼のこれまでとこれからがない交ぜとなった顔のストップ・モーションでこの作品は閉じられる。12歳の肖像。この後の彼はどうするのだろう。深い余韻を残し映画は終わる。