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The Exorcist[1973]


監督 ウィリアム・フリードキン

脚本  ウィリアム・ピーター・ブラッディ

原作 ウィリアム・ピーター・ブラッディ

音楽 マイク・オールドフィールド

   ジャック・ニッチェ

撮影 オーウェン・ロイズマン

出演 リンダ・ブレア

   エレン・バースティン

   ジェイソン・ミラー

   マックス・フォン・シドー

   リー・J・コッブ

   ウィリアム・オマリー

   キティ・ウィン

   ジャック・マッゴーラン

   バートン・ヘイマン

   ルドルフ・シュンドラー

   ジーナ・ペトルーシ

   ロバート・シモンズ

   ロン・フェーバー

   バシリキ・マリアロス

   マーセデス・マッケンブリッジ

ウィリアム・フリードキン監督の1973年公開作品にして、当時はセンセーショナルな映像と内容により話題になった作品。のりおよしおの漫才のネタになっていたほど、有名だったんです。黒澤明監督も娘さんと一緒に観た日には、心配でその日の夜に何度も子供部屋にやって来て首が回転していないか確認しにいったそうです。  恐さとおどろおどろしいイメージが大勢を占めていますが、改めて観るとその映像の陰がある美しさに気がつきました。  二人の悪魔祓い師が登場するこの物語では、メリン神父を演じたマックス・フォン・シドーが作品の格調を高め、カラス神父を演じたジェーソン・ミラーが作品に深みを与えています。彼らは二人で一人である。一人は知性・信心・経験を、もう一人は迷い・感情・意志を体現する。理性と情熱。悪魔を追い詰めるのは理性であり、決着をつけたのは情熱。どちらも素晴らしく、彼らがいてこそこの作品が後世まで語り継がれる名作と成り得たのではないでしょうか。貢献度はかなり高い。物語のベースである芝居がしっかりしてこそ、はじめて特撮部分や奇妙な設定が日常的な芝居との差異を生み、際立ってくるのではないかと思います。彼ら以外にもリー・J・コッブも出演していて、脇役として出ている人たちを見ているだけでも楽しい。マックス・フォン・シドーを使っているのも、おそらくフリードキン監督がベルイマン監督のファンだったからなのかもしれません。映画ファン的キャスティングがなされているように見えました。  そして勿論、作品を引っ張ったのはリンダ・ブレアです。彼女の見せ付けた存在感の大きさは圧倒的でありました。彼女を支えきるためにも、このような重鎮達が絶対に必要だったのでしょう。主役が大きすぎても、脇役が主役を支えられなければ作品は崩壊してしまう。脇役がいくら優れていても主役の演技が軽すぎると、バランスがおかしくなってしまいます。キャスティングがよく考えられていると感心しました。  キリスト教の悪魔祓いというデリケートな部分を作品として真面目に取り扱ったのは、着眼点としては個性的であり、反発も強かったのではなかろうか。アメリカといっても、大都市だけではなく田舎の町も存在します。毎週日曜日に教会に行く信心深い人たちが多い田舎町、その小さなコミュニティーでこのような作品を受け入れることは相当難しかったと想像します。  映像的にはショッキングなそれが目白押しでした。一回転する首、ポルター・ガイスト現象、ラップ現象、陰部に突き立てる十字架、首に突き刺す注射針、放尿しゲロを吐く少女、そして、衝撃的な結末。後のディレクター・カット版では有名な「スパイダー・ウォーク」のシーンなども追加されていますが、たいして必要あるとは思えませんので劇場公開版で十分だと思います。当時、恐ろしかった映像でも、時代を経るとかえって噴飯物になってしまう映像もあるのだということを分からせてくれたのが、この「スパイダー・ウォーク」映像でした。 勿論、後年に見られるような、ただ血が噴き出るばかりのスプラッター物とは訳が違います。何事も順番で進化していくので、ホラー映画という分野に多大なる影響を与えたという意味でもこの作品が映画史に残したインパクトは軽視することは出来ません。タブーを扱う勇気を持っていて、実際に見事な作品に完成させたフリードキン監督は当時のハリウッド・スタイルの低迷とアメリカン・ニューシネマの隆盛の歪みの中で、製作に没頭することが出来ました。  自信を失くしかけていた既成概念でしか判断できないメジャー会社の重役達にとっては、このような若い連中の感覚は理解しがたいものであったとは思いますが、算盤に合うのならば、なんでも商売に結び付けていく彼らの金への嗅覚は流石です。切捨ての早さも。実際、ハッピー・エンドを迎えることの少ないニュー・シネマは数々の名作を残しているにもかかわらず徐々に衰退して、かつてのハリウッド・スタイルが復活して現在に至っています。日曜日にショッピング・センターで家族と共に見れる、子供でもわかる、CG全盛の単純な見世物に落ちぶれた今の作品には、ニュー・シネマ世代の持っていたプライドは微塵もない。ニュー・シネマの衰退はアメリカの文化の衰退でもあるのではないだろうか。  ブレアが悪魔に憑かれて、スラングをわめき散らし、みんなの前で放尿したり、十字架を陰部に突き刺すのは、ロック音楽、低俗なTVショー、そして性モラルの崩壊などへの皮肉に満ちた隠喩でしょう。悪魔の名を借りた、現代人の倫理観の喪失をこの映画は表現したかったのだろうか。


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